東京衡機グループにおいて試験機事業を担う東京衡機試験機は、2023年に事業開始から100周年を迎えました。
100年の歴史をもつ㈱東京衡機製造所と、90年の歴史をもつ㈱東京試験機。
2015年には伝統ある両社の試験機事業が統合し、現在の㈱東京衡機試験機となりました。
㈱東京試験機製作所
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- 伊東久米蔵(1872年生、1938年12月31日逝去)
- 東京帝国大学工科大学機械工学科卒、工学博士
- 三菱長崎造船所に技師として奉職し、在職中は三菱内燃機製造㈱、日本光学工業㈱、㈱東京計器製作所等の創業を主導、引退後は同社顧問に就任
- 昭和12年 昭和飛行機工業㈱の設立に参画、同社常務に就任
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1923年(大正12年)3月伊東久米蔵主唱の下、東京品川に「合資会社東京衡機製造所」を創立、我が国初の試験機と衡器を併せた法人としての専門メーカーとなる。
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- 斎藤英摂(1910年6月9日生、1997月4月26日逝去)
- 早稲田大学機械科卒
- 昭和22年 紺綬褒章受章
- 昭和38年 計量器事業振興功労賞受賞
- 昭和46年 通産大臣表彰(計量器関係功労者)
- 昭和47年 藍綬褒章受章
- 昭和56年 勲四等瑞宝章受章
- 昭和58年 日本材料試験技術協会会長
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1933年(昭和8年)10月創業者である斎藤英摂が個人経営の「工技社」(機械設計製図業)を創立(東京都品川区東大崎)
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1936年(昭和11年)12月事業拡張に向け株式会社への移行を目的として㈱伊東製作所を設立、伊東久米蔵が初代社長となり、翌年3月に合資会社東京衡機製造所を吸収合併し、社名を「㈱東京衡機製造所」に変更する。
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1938年(昭和13年)2月溝ノ口工場建設に要する資本増強のため臨時株主総会にて増資決議、神戸の岡崎財閥が経営引受3月岡崎財閥当主(㈱岡崎本店代表)岡崎忠雄の実弟 片野雄二が第2代社長に就任10月溝ノ口工場完成、操業開始
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1936年(昭和11年)2月「合資会社東京試験機製作所」に改組、改称、本社移転(東京都品川区五反田)、齋藤英摂が代表取締役社長に就任、金属材料試験機、鋸鑢盤、ユニバソメータ(小型金属材料試験機)を製作
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1939年(昭和14年)10月「㈱東京試験機製作所」に改組(代表取締役社長 齋藤英摂)
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1941年(昭和16年)12月武田信夫顧問(予備役海軍少将)が第3代社長に就任
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1942年(昭和17年)4月U型多刃式自動旋盤の製造を開始
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1941年(昭和16年)5月蒲田工場・桐生工場を設立
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1944年(昭和19年)12月政府から軍需会社指定を受ける(国家企業化)
岡崎真一専務が第4代社長に就任 -
- 岡崎真一(1907年5⽉4⽇生、1971年1月20日逝去)
- (父は岡崎財閥2代目当主で神戸銀行会長、神戸商工会議所会頭、東京計器製造所会長などを歴任した岡崎忠雄)
- 昭和7年 慶應義塾大学法学部卒
- 昭和17年 神戸海上火災保険社長
- 昭和21年 同和火災海上保険社長
- 昭和25年~30年 参議院議員
- 昭和30年 日本計量機器工業連合会会長(第2代)、神戸商工会議所会頭、経団連常務理事、日本商工会議所副会頭
- 昭和46年 勲二等旭日重光章受章
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1944年(昭和19年)海軍管理工場および陸軍監督工場に任命群馬県桐生市に工場一部疎開、疎開命令により愛知県豊橋市に工場一部疎開
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1945年(昭和20年)8月戦償賠償工場に指定され、溝ノ口工場の機械設備の約半数の利用を禁止される11月大崎工場に衡器、試験機の民需生産転換の許可
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1946年(昭和21年)4月溝の口工場に農機具類、漁船用発動機等の民需生産転換の許可
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1948年(昭和23年)2月試験機工業会(昭和49年に日本試験機工業会に改称)発足、初代会長に南部鎮雄(㈱東京衡機製造所常務)が就任し、㈱東京衡機製造所大崎工場に本部を設置4月隅田冷凍工業㈱設立(初代社長 南部鎮雄)
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1949年(昭和24年)5月㈱東日製作所設立(初代社長 南部鎮雄)
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1952年(昭和27年)4月戦償賠償工場の指定解除5月大崎工場に電気部を新設し、電子式工業はかりと電子式材料試験機の開発に着手
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1945年(昭和20年)4~5月米軍の空襲により本社・品川工場・桐生工場を焼失8月桐生工場閉鎖、疎開工場である豊橋の第一工場および第二工場をもって平和産業に転換農業用機械「トーシ式自動籾摺機」開発、「食糧供出緊急機器」として全国に生産配給10月本社移転(東京都品川区品川)
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1950年(昭和25年)米国第八軍登録工場に指定、繊維機械製造開始
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1951年(昭和26年)各種試験機および測定器の製造再開
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1953年(昭和28年)株式を東京地区店頭市場に公開
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1957年(昭和32年)5月通商産業省により機械工業振興臨時措置法に基づく大型試験機メーカーとして指定され、溝ノ口工場に機械工場1棟を増築
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1961年(昭和36年)10月株式を東京証券取引所市場第2部に上場11月米国計重機大手フェアバンクス・モース社と技術販売契約を締結
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1953年(昭和28年)計量法に基づく製造事業免許工場認可
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1959年(昭和34年)11月本社移転(東京都港区芝5丁目)
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1960年(昭和35年)8月大阪支店を開設
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1962年(昭和37年)5月㈱東京計算機製造所設立(初代社長 南部鎮雄)6月㈱東衡自動機械製造所設立(初代社長 南部鎮雄)
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1965年(昭和40年)7月子会社「㈱東衡技術研究所」を設立12月南部鎮雄副社長が第5代社長に就任
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- 南部鎮雄(1908年2⽉19⽇生、1983年10月20日逝去)
- (父は南部式自動拳銃の発明者・工学博士・陸軍中将の南部麒次郎で、岡崎真一とは従兄弟にあたる)
- 昭和6年 京都帝国大学経済学部卒
- 昭和20年 ㈱東京衡機製造所常務取締役(昭和28年副社長)
- 昭和21年 試験機工業会会長
- 昭和23年 隅田冷凍工業㈱を創立、初代社長
- 昭和24年 ㈱東日製作所を創立、初代社長
- 昭和31年 ㈱ニシベ計器製造所社長に就任、同社再建に着手
- 昭和37年 ㈱東衡計算機製造所設立、初代社長
- ㈱東衡自動機械製造所設立、初代社長
- 昭和38年 日本計量機器工業連合会会長(第3代)
- 昭和40年 ㈱東衡技術研究所設立、初代社長
- 昭和41年 藍綬褒章受章
- 昭和42年 計機健康保険組合設立、初代理事長
- 昭和43年 ㈱東衡サービス社長
- 昭和48年 河北病院(初代理事長は義兄河北眞太郎)理事長
- 昭和53年 勲三等瑞宝章受章
- 昭和58年 被叙正五位
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1968年(昭和43年)8月子会社「㈱東衡サービス」を設立
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1962年(昭和37年)豊橋工場に大型組立工場および機械工場を新設
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1967年(昭和42年)4月北九州支店を開設
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1969年(昭和44年)子会社「東試商事㈱」 を設立
機械工業振興臨時措置法に基づく融資を受け新鋭工作機械を導入
海外輸出対策を推進し、JETRO主催のメルボルン展示会およびメキシコ展示会に出品
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1970年(昭和45年)9月西独ビゼルバ社と提携し、合弁会社として㈱日本ビゼルバを設立12月下妻機械㈱設立(昭和47年6月「東衡機械工業㈱」に改称)
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1971年(昭和46年)12月㈱東京計算機製造所と㈱東衡自動機械製造所が合併しビルコン㈱となる。
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1972年(昭和47年)6月子会社「㈱テスタック」、「東衡機械工業㈱」を設立8月子会社「㈱東衡開発」を設立
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1970年(昭和45年)全自動シャルピー衝撃試験機、自動万能深絞り試験機等を開発
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1973年(昭和48年)9月西独カール・シェンク社と資本・技術提携、疲労試験機と動力計分野を強化
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1973年(昭和48年)全自動超大型試験機、全自動エリクセン試験機等を開発、
大型構造物試験機工場および製缶工場完成
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1974年(昭和49年)1月岡崎由雄専務が第6代社長に就任
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- 岡崎由雄(1940年4月19日生)
- (岡崎真一の3男)
- 昭和38年 慶應義塾大学法学部卒
- 平成7年 通産大臣表戦(産業振興功労者)
- 平成11年藍綬褒章受章
- 平成12年 日本試験機工業会会長
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1975年(昭和50年)7月西独カール・シェンク社傘下のホッチンガーボールドウィンメステヒニック社(HBM社)と総販売代理店契約を締結し、トランスデューサと測定器の輸入販売を開始8月㈱テスタック、㈱東京衡機技術研究所、㈱東衡開発を合併し、子会社「㈱東衡テスタック」を設立
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1981年(昭和56年)10月米国HBM社と販売契約を締結
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1983年(昭和58年)12月溝ノ口工場売却
相模原工場建設開始 -
1985年(昭和60年)1月相模原工場完成、操業開始
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1974年(昭和49年)本社移転(東京都港区西新橋)
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1978年(昭和53年)全自動コニカルカップ試験機を開発
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1984年(昭和59年)8月子会社「㈱トーシエンヂニアリング」を設立
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1987年(昭和62年)4月㈱東衡サービスを「㈱東衡エンジニアリング」に改称
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1997年(平成9年)東衡エンジニアリング㈱を㈱東衡テスタックに吸収合併
材料試験機の保守サービス部門をビルコン㈱の子会社ビルコンエンジニアリング㈱に譲渡
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1987年(昭和62年)日本たばこ産業㈱と業務・技術・資本提携を行い、同社を割当先として第三者割当増資を実施、同社の子会社(JTグループ)となる(代表取締役会長 齋藤英摂、代表取締役社長 黒瀬浩之)
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1990年(平成2年)可原賢桊が代表取締役社長に就任
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1993年(平成5年)創業60周年記念事業として工場を拡張し、新社屋建設
社名を「JTトーシ㈱」に変更 -
1994年(平成6年)ネジ式万能試験機「SENSTAR」が1994年度グッド・デザインインターフェイス証を受賞
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1998年(平成10年)2月丸紅㈱出身の佐藤初郎専務が第7代社長に就任(岡崎社長は会長に就任)
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2000年(平成12年)11月試験機事業において品質マネジメントシステムISO9001の認証を取得
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2003年(平成15年)4月株式交換により「㈱アジアビーアンドアールネットワーク」を完全子会社化し、その中国子会社も傘下に入れる。
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2004年(平成16年)4月藤井勉取締役技術担当(工学博士)が第8代社長に就任
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1998年(昭和10年)6月中村洋二が代表取締役社長に就任
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2005年(平成17年)4月環境マネジメントシステムISO14001の認証を取得(2011年以降は自主的な環境活動に変更)10月ドイツの大手試験機メーカーZwick社と同社製品の日本国内における販売に関して業務提携
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2006年(平成18年)5月岡崎由雄代表取締役会長が社長を兼務7月中国の「無錫三和塑料製品有限公司」および「上海参和商事有限公司」の出資持分を取得して子会社化
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2007年(平成19年)5月山本勝三が代表取締役社長に就任9月ゆるみ止めナット等の製造販売を行う㈱KHIを子会社化
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2008年(平成20年)7月試験機の保守サービス会社ビルコンエンジニアリング㈱を子会社化し、「㈱テークス試験機サービス」に改称9月社名を「㈱テークスグループ(英文:TAKES・GROUP LTD.)」に変更、「TKS」ブランド(TOKYO KOKI SEIZOSHO LTD.の略称)は、新たなコーポレートオブジェクティブ(Technology And Knowledge Enrich Society「技術と知識で豊かな社会の実現に貢献する」)とともに使用を継続
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2013年(平成23年)9月創業当初の社名の略称である「㈱東京衡機(英文:TOKYO KOKI CO. LTD.)」に商号変更
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2005年(平成17年)6月㈱東京衡機製造所(現 ㈱東京衡機)と営業譲渡に関する基本契約書を締結11月㈱東京衡機製造所に営業譲渡の当事会社として子会社の㈱トーシエンヂニアリングの全株式を譲渡し、㈱トーシエンヂニアリングの社名を「㈱東京試験機(TOKYO TESTING MACHINE INC.)」に変更12月㈱東京試験機に営業の一部(試験機事業)を譲渡、㈱東京衡機の元社長である佐藤初郎が㈱東京試験機の社長に就任
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2009年(平成21年)5月鶴田文雄が代表取締役社長に就任
以降は、株式会社東京衡機試験機の歴史
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2015年(平成27年)2月石川隆一代表取締役会長が社長を兼務9月㈱東京衡機の試験機事業と㈱東京衡機試験機サービス(現㈱ZR東京衡機サービス)の全株式を会社分割(簡易吸収分割)の方法により、㈱東京試験機に承継、社名を「㈱東京衡機試験機」に変更
㈱東京衡機の試験機事業と同社子会社の㈱東京衡機試験機サービス(現㈱ZR東京衡機サービス)の全株式を会社分割(簡易吸収分割)の方法により、㈱東京試験機が承継
社名を「㈱東京衡機試験機」(TOKYO KOKI TESTING MACHINE CO.LTD.)に変更
㈱東京衡機会長兼社長の石川隆一が㈱東京衡機試験機の代表取締役社長を兼務 -
2018年(平成30年)5月㈱東京衡機社長の竹中洋が代表取締役社長を兼務
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2019年(令和元年)5月㈱東京衡機取締役試験機事業担当の上野正男が代表取締役社長に就任
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2021年(令和3年)9月神奈川県相模原市南区の自社所有不動産にグループ会社の本店を移転
本店及び東京支店を神奈川県相模原市南区へ移転 -
2023年(令和5年)5月㈱東京衡機社長の小塚英一郎が代表取締役会長に就任6月新規HPをリリース
新規ロゴを制定7月本店を神奈川県相模原市緑区へ移転
Company Profile